古典経済を勉強しよう!
竹中平蔵『経済古典は役に立つ』
経済について勉強してみたいと思い、手に取ったのがこの本。
竹中平蔵『経済古典は役に立つ』(光文社、2010年)
竹中平蔵さんといえば小泉内閣の時に内閣府特命大臣や郵政民営化担当大臣をやられていた方。
今は東洋大学で教鞭をとられているとか。
この本は竹中さん受け持った経済古典の講義がベースになっています。
経済学の発展が歴史を追って書かれており、とても読みやすかったです。
問題解決の手段としての経済古典
この本の最大の特徴は、「経済古典は問題解決のスキル」としている点です。
素人の私にとって、経済学は小難しい理論のように感じていました。
しかしこの本では、経済学は当時の問題を解決するために当時の学者が考えた解決方法、と捉えています。
例えば、ケインズは1929年の世界恐慌で増加した失業率の問題を解決するため、政府による需要創出の必要性を説きました。
一方、フリードマンはスタグフレーション(景気が回復しないまま物価が上がる状態)を解決するために、ケインズの理論を批判しました。
他にも、ハイエクは政府が大きくなりすぎることを批判し、個人の自由な経済活動を促進するのが政府の役割であると説きました。
このように経済古典は、各時代で起こった問題を解決するために、当時の学者たちが提示した新しい解決策、と考えることができます。
100%正しい経済古典はない
現実は経済古典に記載された通りに動きません。
例えば世界恐慌のとき、アダム・スミスが考えた「見えざる手」は無力でした。
なぜなら、スミスの「不況により賃金が下がればいずれ雇用が増える」考え方では、目下の失業率を回復させることができないためです。
そこでケインズは、「政府が需要を起こして雇用を増やす」考えを提示し、失業率を回復しようとしました。
しかしケインズも「政府の政策も常に正しいわけでなく、誤りを起こすがある」ことを見落としています。
100%正しい経済古典はありません。
経済古典を100%正しい思想だと信じてしまわないよう注意が必要です。
経済古典は役に立つ
経済古典はあくまで問題解決のための手段です。
どの手段を使うかはその時々の状況で異なります。
今はアダム・スミスの時のように「見えざる手」に任せた方が良いのか。
それともケインズのように公共投資を増やして失業者を減らした方が良いのか。
今の日本では日銀の金融緩和によって景気回復を図ろうとしています。
その結果、就業者数や雇用者数は増加し、完全失業者数も少しずつ現象しています。
参考:https://www.stat.go.jp/data/roudou/sokuhou/tsuki/index.html
現状の場合はハイエクの言うように、政府は個人の経済活動を妨げずに促進させた方がよいのかもしれません。
例えば公共投資を控えて減税をするとか。
このように経済問題について考えることができるのも、経済古典を手段として使っているおかげです。
まさに経済古典は手段を考える上で役に立ちます。