上皇から見た日本史
代替わりに際して
5月1日に皇太子殿下は新しい天皇になられました。
それに伴い、先の陛下は上皇になられました。
約200年ぶりの上皇陛下です。
歴史の教科書では、上皇は後白河上皇の院政や後鳥羽上皇の承久の乱が有名です。
しかし、他の上皇は歴史上どんなことをなされたのでしょうか?
疑問に思って書籍を探していたらいい本に出会いました。
この本は、私たち日本人が忘れてしまった上皇の歴史を学び直すことができます。
上皇の歴史
この本の巻末に上皇になられた方々の一覧があります。
令和元年現在、上皇は全員で65方いらっしゃいます。
このうち天皇にならず上皇となられたのは4方(不登極帝と呼びます)。
このことから126代の天皇のうち半分近くは上皇になられています。
実は上皇がおられることは日本の歴史のなかで珍しいことではないのです。
天皇が生前に皇位を皇太子に継ぐことは特別なことでなく、崩御してから皇位継承するようになったのは明治以後のことです。
上皇がいると院政が敷かれる?
歴史の教科書を読むと上皇=院政のように考えてしまいがちです。
しかし実際はどうなのでしょうか?
その鍵を握るのが「治天の君」という言葉です。
治天の君とは皇室の家長のことです。
皇室の家長は皇室の中で実権を握っている人と捉えることができます。
嵯峨天皇は譲位の際に、太上天皇(上皇の正式名称)を固辞します。
新しい天皇である淳和天皇が上皇に宣下(命じる)ことで嵯峨天皇は上皇となります。
これによって、上皇よりも天皇の方が実権を握っている=皇室の家長であるという先例ができました。
しかし時代が下り、白河上皇のときに実権が上皇に渡ってしまいました。
権力闘争の結果です。
このように院政を始めるには、上皇が治天の君(実権を握り皇室の家長になる)必要があるのです。
2600年以上も皇室が続いてきた理由
この本を読むと、壬申の乱、摂関政治、院政、承久の乱、南北朝などを教科書では書かれていない視点で観ることができます。
皇室から観ると各時代ごとに真儀(新しいこと)が行われため、後の世に禍根を残してしまいます。
著者の言葉を借りれば、「皇室は先例を尊ぶ」「新儀は悪」。
各時代で起きたことを先例として学び、良い例を採用してきたからこそ皇室は2600年以上続いてきたのです。
代替わりとなったこの際に、みなさまも上皇の歴史を紐解いてはいかがでしょうか。