検察の歴史

最近、カルロス・ゴーン被告の国外逃亡や国会議員の汚職疑惑などがニュースを賑わせています。

このような汚職事件が起きると、注目を浴びるのが検察です。

検察は、どのような組織なのか、かつて何をしたのか、以外と知られていません。

そこで検察について興味が湧いたため、検察の歴史が書かれた本を読みました。

読んだ本は、倉山満『検証 検察庁近現代史』(光文社、2018年)です。

 

 

刑事裁判と検察

刑事裁判は、事件発生から起訴までの一連の過程に不正がないか審査することです。

検察官が起こした裁判を裁判官が審査するため、裁かれる立場は被告人ではなく、実は検察官なのです。

このように裁判を起こす人(検察官=行政)と裁判で審査する人(裁判官=司法)が分離していなければ、公正な裁判が行えなくなります。

行政権からの司法権の独立と言われる所以です。

 

検察は、最高検察庁を頂点としたピラミット型組織で、捜査、起訴、公判を通して検察庁一体となって動きます(検察官同一体の原則)。

検察は起訴ができるだけでなく、警察と同じように捜査と逮捕もできます。

しかし、警察は捜査と逮捕のみで起訴はできません。

検察にしか起訴はできない(起訴独占主義)かつ、起訴するか否かは検察が決められるのです(起訴便宜主義)。

 

では検察はどのような歴史を経て、今に至るのでしょうか。

 

明治時代の司法省と検察

司法省は明治4年に設立されました。

初代司法卿(大臣)は江藤新平です。

江藤は、各地方にいる地方官に任されていた司法権を司法省の管轄に置き、現在の検察庁にあたる検事局を創りました。

江藤の後に司法制度を整えていったのが、井上毅です。

大審院(現在の最高裁判所)をはじめとした裁判所の整備、関連する法律の整備などに尽力します。

 

当時の裁判所は検察局とともに司法省の一部局という扱いでした。

そのため、人事や給与などが検察も裁判官も司法省で決められていたそうです。

当時の司法省の人事は、検事総長経験者が大審院院長や司法大臣に就いていたそうです。

裁判官よりも検察官の方が地位が高く、この時代は司法権といえば裁判官よりも検察のことを指したそうです。

現在に至る裁判官と検察官の関係が、このころからあったのかもしれません。

ちなみに当時から、検察官同一体の原則や起訴独占主義が行われています。

 

政治家の汚職と検察 

政治と検察の関係は、政治と金の問題と不可分です。

検察が主体となって政治と金の問題に関わるようになったのは、日糖事件が最初です。

この事件を機に検察は、シーメンス事件、大浦事件といった汚職事件を追求します。

特にシーメンス事件は、検察が内閣を総辞職に追い込んだ最初の事件です。

検察が汚職事件の追求していった結果、昭和初期に影響力を持つようになった人物が、平沼騏一郎です。

平沼は検事総長として検察を掌握し、「司法界のドン」とまで言われます。

さらに「右翼の親玉」として政治の世界にも進出し、「平沼閥」と言われる派閥を築きます。

帝人事件では、大蔵省を標的に倒閣を仕掛けたりもしました。

しかし同時に平沼閥をよく思わない一派もできました。

 

この本では、平沼と彼に続く塩野季彦らのことを「思想検察」と呼びます。

反対に、反平沼閥の系譜を引く小原直らの検察官を「経済検察」と呼びます。

思想検察は、主に共産主義者をはじめとした日本を転覆する人たちを取り締まる検察です。

経済検察は、思想検察よりも汚職事件などの経済問題に重点を置く検察です。

戦中から戦後にかけて、検察内部で思想検察と経済検察が激しく争うようになります。

 

検察内部の派閥抗争

戦後GHQ公職追放によって、司法省は中核を担っていた思想検察を一気に失います。

思想弾圧をしたとして、平沼閥や塩野閥の解体を目論んだためです。

入れ変わりで主流派になった経済検察の元では、昭電疑獄事件や炭鉱国管事件が起こりました。

その後、朝鮮戦争を機に公職追放が解除されると、今後は思想検察が戻ってきました。

両者は人事で激しく衝突しました。

時の法務総裁(大臣)が思想検察を登用しようとしたためです。

結果として、渦中の検察官が辞職することで政治の介入を防ぎ、騒動はおさまりました。

このように検察も決して一枚岩の組織ではないことがわかります。

思想検察と経済検察の暗闘は1961年まで続き、結果的に経済検察が勝ちます。

 

 

指揮権発動

戦後、かつての海運大国に戻ろうと造船業が盛んになりました。

これは造船業界が 政官界に働きかけることで実現していました。

そこに裏金問題が起こります。

造船疑獄です。

この事件で、時の自民党幹事長佐藤栄作の逮捕が取りだたされました。

しかし犬養健法相は指揮権を発動し、検事総長を通して検察に佐藤栄作逮捕を止めるよう命じたのです。

この指揮権発動の経験から、検察は政治家の逮捕に慎重になります。

 

ロッキード事件

戦後の汚職事件で有名なのが、田中角栄元総理が逮捕されたロッキード事件です。

ロッキード事件は、アメリカのロッキード社が航空機の売り込みに関して、各国の議員に賄賂を送っていた事件です。

時の三木武夫首相は「日本の政治の名誉にかけて真相を究明する」と宣言していました。

そして自らの政敵である田中角栄に対して「逆指揮権」を行使して逮捕させた、と言われています。

しかし田中の裁判に関しては、「反対尋問がまったくない裁判だった」と批判されるように、世論に後押しされた強引な裁判であったようです。

著者は、ロッキード事件に関して日本の司法は異常だった、と述べています。

 

おわりに

「犯罪を起こさない」ことはできても、「犯罪に巻き込まれない」ことは、個人の努力ではできません。

普段何気なく暮らしていても、ある日突然、無実の罪を着せられて、犯罪者として扱われてしまうかもしれません。

またある時は、事件の被害者として犯罪に巻き込まれることもあるかもしれません。

検察や裁判所は、私たちの生活に一番身近な組織である、と言えます。

 

 しかし、歴史を見ると検察もまた政治に振り回されてきたと言えます。

 それでもなお検察は事件と向き合い、正義を実現して欲しいとも思います。

たとえ大きな悪に煮え湯を飲まされても、弱きものを助け悪を逃さない、 そんな組織であってほしいと思います。

この本は他にもリクルート事件などの汚職事件を取り上げ、検察の長い歴史を事実に基づいて書いてみます。

難しい内容もありますが、検察という組織から日本の歴史を学ぶいい機会だと思いました。