経営の神様の言葉
「経営の神様」松下幸之助の『道をひらく』(PHP研究所、1968年)より
道
いま立っているこの道、いま歩んでいるこの道、ともかくもこの道を休まず歩むことである。自分だけしか歩めない大事な道ではないか。自分だけに与えられているかけがえのないこの道ではないか。他人の道に心をうばわれ、思案にくれて立ちすくんでも、道はすこしもひらけない。道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。心を定め、懸命に歩まねばならぬ。
現代は身の回りの人だけでなく、インターネット上でも様々な人の生活を知ることができます。
時に他人の生活が羨ましく思うほどに。
しかし、それはあくまで他の人が選んだ人生の道です。
大事なのは、自分しか歩めない人生を自分はどう生きるか。
素直に生きる
素直さを失ったとき、逆境は卑屈を生み、順境は自惚れを生む。逆境、順境そのいずれをも問わぬ。それはそのときのその人に与えらえた一つの運命である。ただその境涯に素直に生きるがよい。
松下氏がこの本で度々言及されている言葉が「素直」です。
素直に生きることが、苦しい時も順風万歩な時も、強く正しく賢く生きる秘訣だと、氏は伝えています。
この言葉から、その時々の境遇をありのままに受け止め、次の一歩を踏み出して欲しいと言う思いが伝わります。
志を立てよう
志を立てるのに老いも若きもない。そして志あるところ、老いも若きも道は必ずひらけるのである。
志を立てるのに年齢は関係ない。
なぜなら、たとえ歳をとったとしても、これまでの歳月を嘆くことをせず、もう一度志を立てて実行に移せばよいためです。
大切なことは、志が弱ければ道はひらけないことであり、真剣に志を立てて実行していくことだ、と思いました。
真剣勝負
人生は真剣勝負である。だからどんな小さな事にでも、生命をかけて真剣にやらなければならない。
真剣になればこそ、よい結果を生み出そうと努力し、工夫を凝らします。
人生は真剣勝負。
一度しかない人生だからこそ、真剣に事に当たらなければと思いました。
生と死
死を恐れるのは人間の本能である。だが、死を恐れるよりも、死の準備のないことを恐れた方がいい。人はいつも死に直面している。それだけに生は尊い。そしてそれだけに、与えられている生命を最大限に生かさなければならないのである。それを考えるのがすなわち死の準備である。そしてそれが生の準備となるのである。
人はいつ死ぬかわからない。
普段何気なく生きていると、こんな当たり前のことすら忘れてしまいます。
いつ死ぬかわからないからこそ、生きていることはありがたいこと。
自分の死を見つめることは、自分の生命を最大限に使うことにつながり、結果として自分の生き方を見つめ直すことにつながるのです。
なぜ
こどもの心は素直である。だからわからぬことがあればすぐに問う。”なぜ、なぜ”と。こどもは一生懸命である。熱心である。だから与えられた答を、自分でも懸命に考える。考えて納得がゆかねば、どこまでも問いかえす。”なぜ、なぜ”と。
松下氏は、大人もまた子供と同じように、「なぜ」と問わなければいけないと、説いています。
なぜなら、疑問に持つ姿勢や、物事について熱心に考える姿勢が、日々成長させるためです。
漠然と生活していると、私たちは日常に潜む「なぜ」と見逃してしまいます。
普段何気なく過ごす中でも、「なぜ」を忘れないで生活していきたいものです。
断を下す
進むもよし、とどまるもよし。要はまずは断を下すことである。みずから断を下すことである。それが最善の道であるかどうかは、神ならぬ身、はかり知れないものがあるにしても、断を下さないことが、自他共に好ましくないことだけは明らかである。
決断を下すことは難しいことです。
しかし決断を先延ばしにした結果、状況は悪化するかもしれません。
決断の時、正しい決断は誰もわかりません。
であれば一度決断し、仮に間違いだったらまた決断し直せばいいのではないでしょうか。
命を下す
たとえ命令がなくとも、以心伝心、命ずる人の意を汲んで、それぞれの人が適時的確に進んで事を運んでいくーーこういう柔軟な姿のなかにこそかぎりない発展性が生まれてくる。そのためには、命を下す前に、まず人のいうことに耳をかたむけることである。まず聞くことである。
人に命令を出す時は受ける側の話を聞くことが大切。
自分の伝えたいことを相手に一方的に伝えるのが命令ではないと言うことです。
自分と相手の理解の双方をすり合わせ、お互いに納得した上で命令を下す、これが正しい命令の仕方と言うことです。
止めを刺す
昔は、いわゆる止めを刺すのに、一つのきびしい心得と作法があったらしい。だから武士たちは、もう一息と言うところをいいかげんにし、心をゆるめ、止めを刺すのを怠って、その作法にのっとらないことをたいへんな恥とした。
かつての武士の作法を引き合いに出して、最後の最後で手を抜くことは恥ずべきことである、と説いています。
「止めを刺す」という言葉から、最後まで決していい加減にしない厳しさを感じます。
失敗か成功か
百の事を行なって、一つだけが成ったとしたら、これははたして失敗か成功か。多くの場合、事の成らない九十九に力を落とし、すべてを失敗なりとして、悲観し意欲を失い、再びその事を試みなくなる。こうなれば、まさに失敗である。しかし、よく考えれば、百が百とも失敗したのではない。たとえ一つであっても事が成っているのである。つまり成功しているのである。
挑戦の結果、失敗だらけでも一つ成功すれば希望が持てます。
一回で成功できるのは稀です。
何度も挑戦し、失敗を重ねて学び、 そこから得た知見から成功につながると思います。
そして一つでも成功できれば、そこから新たな成功へのきっかけになると思います。
プロの自覚
プロとは、その道を我が職業としている専門家のことである。職業専門家とは、つまりその道において、一人前に飯が食えると言うことである。いいかえれば、いかなる職業であれ、その道において他人様からお金をいただくということは、すでにプロになったということである。
お客様からお金をいただいている以上、プロとしての自覚は必要である、と松下氏は説いています。
戒めたい言葉です。
大事なこと
勝負というものには、勝ち負けのほかに、勝ち方、負け方というその内容が大きな問題となるのである。
勝ち負けの結果だけではなく、その内容が問われます。
汚いやり方で勝ったとしても、世の中のためになったとは言えません。
いかに正しい方法で成果を上げるかが肝心となります。
乱を忘れず
いついかなる変事にあおうとも、つねにそれに対処してゆけるように、かねて平時から備えておく心がまえがほしいもの。「治にいて乱を忘れず」である。
いざという時に備えて、日頃から準備しておく必要があります。
しかし、私たちは平穏な毎日を過ごしているとこれを忘れてしまいがちになります。
己を知る
敵を知ることもむつかしいけれども、己を知るということはもっとむつかしい。しかし、敵を知らなければ勝負は定まらないとしても、己を知らなかったら、戦いには必ず敗れる。
自分に不備がないか状態はよいかすらわからなければ、戦いにすらなりません。
自分のことを知ることは難しいですが、日々の反省からすこしずつ自分という人間が見えてくるのではないでしょうか。
学ぶ心
学ぶ心さえあれば、万物すべてこれ我が師である。
学ぶ心は人を謙虚で素直な心にさせます。
自然からも他人からも学びとろうと心がけることで、新しい知恵が湧いてくると思います。
信念のもとに
昔の商人は”店是とのれん”というものを、ずいぶん大事にした。ときには、自分の生命よりもこれを大事にした。伝来の店是とのれんを守ることに、商人としての生命をかけて、これに強い信念を置き、誇りを感じていたのである。
この信念は最初に述べた志にも通じるものがあります。
先代から受け継ぎ、自分の人生をかけて成し遂げたいものです。
自分の生命よりも大事な信念を守る。
この考え方は、現代を生きる私たちに果たしてまだ残っているのでしょうか。
日本よい国
春があって夏があって、秋があって冬があって、日本はよい国である。風どだけではない。長い歴史に育まれた数多くの精神的遺産がある。その上に、天与のすぐれた国民的素質。勤勉にして誠実な国民性。日本はよい国である。こんなよい国は、世界にもあまりない。だから、このよい国をさらによくして、みんなが仲よく、身も心もゆたかに暮らしたい。
松下氏は日本という国をとても愛しているのだと、感じました。
四季だけではなく、日本の伝統、文化、歴史、日本人の精神を。
このような気持ちがあったからこそ「世界の松下」が誕生し、今なお様々な製品を世に送り出しているのだと、感じました。