イギリスの歴史は政治の歴史

イギリスは様々な地域がまとまってできています。

イングランド

スコットランド

ウェールズ

・北部アイルランド

これら地域の連合王国です。

 

イギリスはかつては世界中に植民地を持っていました。

今の国に例えれば、

アメリ

・カナダ

・インド

・オーストラリア

南アフリカ

などです。

 

多くの植民地を持っていたイギリスは、

どのような歴史を辿ってきたのでしょうか

 

一言で言えば、「イギリスの歴史は政治の歴史」です。

 

 

 イギリスはヨーロッパにも領土を持っていた

イギリスはヨーロッパに領土を持っていましたが、

失ってしましました。

ローマ教皇に外交で、フランスに戦争で負けたからです。 

 

元々イギリスは、ヨーロッパから渡ってきたフランス人によって、

作られた国です。

ノルマンコンクエストと言います。

そのため、今のフランスの一部にも領土がありました。

しかし、イギリス国王ジョンがローマ教皇に政争で負けてしまい、

領土を教皇に献上してしまいます。

さらにイギリスは、フランスとの100年戦争で負けてしまい、

現在のフランスにあった領土を失ってしまいます。

 

このころのイギリスはあまり強くありませんでした。

 

イギリスの黒歴史

イギリスには消したくても消せない黒歴史があります。

国王の処刑です。

 

発端は増税です。

議会の不満は爆発、国王リチャード1世は議会に兵を送ります。

これによりイギリスは、国王派と議会派による内戦状態になります。

清教徒革命です。

 

議会派のリーダーは清教徒クロムウェルでした。

1649年にクロムウェルは国王を処刑してしまいます。

ノルマンコンクエスト以来、曲がりなりにも続いていたイギリス王室が、

ここで途絶えてしまいました。

イギリスの黒歴史です。

 

ちなみ日本は建国以来ずっと皇室が続いている国です。

日本の基準に照らすと、イギリスは歴史が途絶えてしまった国、

となってしまいます。

 

イギリスはオランダに乗っとられた国

実は、イギリスはオランダの提督が王位についています。

オランダ名ウィレム3世、イギリス名ウィリアム3世です。

原因は前王がカトリックを優遇し、

スコットランドで宗教弾圧を起こしたからです。

 

この一連の革命を名誉革命と呼びます。

理由は一滴も血が流れていなかったからです。

しかし実際は、ウィリアム3世は軍隊を引き連れており、

侵略する気満々でした。

 

国王就任後は、スコットランドの反乱を鎮圧し、

アイルランド人を大量虐殺しています。

本当に一滴も血が流れていない革命だったのでしょうか?

  

もう争いに懲りたイギリス議会は、

1689年に権利賞典を制定させます。 

ここで、国王を議会を構成する1つに加えたのです。

国王も議会に所属しているのだから、

議会の決定に国王も逆らわない、という原則ができます。

議会政治の基礎ができてきました。

 

「イギリスには憲法がない」はウソ

イギリスには、「イギリス憲法」と名前が書かれた「憲法典」は存在しません。

しかしイギリスでは、慣習、法律、裁判の判決などを憲法と呼んでいます。

 

理由は、そもそも憲法はその国をその国たらしめる、

歴史・文化・伝統のことを指すからです。

歴史の積み重ねによってできた慣習や法律などを運用していくと、

文字に書いてまとめなくても、憲法として機能します。

 

イギリスの一例をあげます。

・「国王は議会の決定に逆らってはならない」

 これは文章化されていない慣習です。

 1708年に女王が議会の決定を無視して以降、守られている慣習です。

 

・王位継承法

 現在も存在し、過半数で改正できる法律です。

 しかしイギリスを構成する王室に関わる法律なので、

 憲法として扱います。

 この法律を改正しようとしても他の法律と祖語が生まれてしまい、

 簡単に改正できません。

 

イギリスは、憲法を条文にまとめるよりも、

実際の政治での運用によって、憲法を守っているのです。

難しいですが、合理的な仕組みです。

 

議会政治は戦争に勝つための政治

タイトルで驚いたかもしれません。

イギリスでは、議会は戦争に勝つための仕組みとなっています。

理由は、イギリスの歴史は議会の演説と選挙によって、

戦争に勝ってきた歴史だからです。

 

七年戦争(1756年〜1763年)

 七年戦争は、オーストリアプロイセンの争いを軸にした戦争です。

 ヨーロッパだけでなく植民地にも戦火が飛び火しました。

 この戦争でイギリスは、海外の植民地と海上の要衝を手に入れます。

 

  この時にイギリスを指導したのが、

 ウィリアム・ピット(大ピット)です。

 大ピットは演説によって国民は結束させます。

 納税が増え、国家が総力を挙げて戦える環境をつくります。

 

 戦いの結果、ジブラルタル海峡を手に入れ、

 のちの大英帝国の礎を築くことに成功します。

 

・対ナポレオン戦争

 1789年、フランス革命が起こります。

 名君だったルイ16世が処刑され、周辺諸国は危機感を持ちます。

 1799年ナポレオンがフランスの実権を握ります。

 

 ここで、大ピットの息子、小ピットがナポレオンと戦いました。

 小ピットは3度に渡って、周辺諸国と対仏大同盟を結びます。

 さらに父親と同じく演説によって国民を鼓舞します。

 ナポレオンに勝つために、国民には増税を求めました。

 増税は本来、戦争に勝つために行うものです。

 小ピットと国民に応えて海軍のネルソン提督が、

 フランス海軍に勝利しました。

 

以上をまとめると、次のサイクルが見えてきます。

議会の演説により納税を増やす

税金が増えれば軍隊が強くなる

軍隊が強くなれば戦争に勝てる

戦争に勝ったあと、和平によって国の富を増やす

 

イギリスは「戦争に勝つ」目的を達成するために、

議会政治を発展させていったのです。

 

最後に

イギリスの歴史を紐解いていくと、

政治の歴史が見えてきます。

小国だったイングランドが世界中に植民地をもち、

今もなお影響力を持っている理由。

それは長年培ってきた慣習と法律をうまく運用した、

議会政治にあるのかもしれません。

 

参考図書

倉山満『嘘だらけの日英近現代史』(扶桑社、2016年)