戦略でみた日本の合戦

日本の歴史で何か面白い話題がないかなと本を探していたら、「戦略」「合戦」という文字が目に飛び込んできました。

海上知明『戦略で読み解く日本合戦史』(PHP新書、2019年)

今回は、この本を紹介したいと思います。

「戦略」とはどのような考え?

著者は、クラウゼヴィッツの『戦争論』やジェミニの『戦争概論』、リデルハートの『戦略論』から引用し、

「戦略とは目的を明確にし、それを達成するための目標を定め大局を見極めながら効率的に体型的に目標を達成する計画の骨組みである」

 

と述べています。

このままでは少しわかりにくいのでボクシングで例えています。

ボクシングではたとえパンチが強くても、フットワークなどの動きが悪ければパンチを当てることができません。

このボクシングのパンチが戦術であり、体全体の動きが戦略になります。

相手に勝利することが目的であれば、ノックアウトさせる、または得点を稼ぐという目標を達成するために動くのが、ボクシングでの戦略になると思います。

この本では、戦略という視点から日本史に出でくる有名な合戦を解説しています。 

戦略的に撤退した平家

平安時代の末期、木曾義仲に敗れた平家は住み慣れた都を離れ西国へ落ち延びていきます。

世に言う平家都落ちです。

都落ちという言葉は、まるでこの後の平家は滅亡への道を進むかのような印象を受けます。

しかし、この都落ちの後2年近く平家は西国に勢力を保ちます。

まるで京都を奪還するかのごとく。

多数の船や水夫を擁していた平家は、海軍として再出発できたのです。

事実、水島合戦で木曾義仲に勝ち、リベンジを果たしています。

一ノ谷合戦でも、陸と海の両方から源氏軍を挟み撃ちにしようとしていました。

また、海上の要所でもある屋島に陣を張っていました。

しかし最終的に、平家は壇ノ浦で滅んでしまいます。

ではなぜ平家は源義経に負けてしまったのでしょうか。

運が良かった源義経

 義経が勝てた理由は、一言で言えば「運が良かった」です。

一ノ谷合戦では、急な坂道を馬で下る「鵯越」によって、背後から奇襲しました。

この結果、義経は「迂回して背後から奇襲」して勝てたという説ができました。

しかし実際はどうだったのか。

たとえ背後の山から奇襲したとしても、もともと平家は陸と海の両方から挟み撃ちにする予定だったため、海と陸の側面から反撃すればいいだけです。

義経は船を持たないため逃げ場がありません。

ではなぜ平家は、袋の鼠だった義経から逃げてしまったのか。

著者によると、後白河法皇による政略の結果だとしています。

実は後白河法皇が和平の使者を送るため武装解除するよう平家側に伝えていたのです。

平家側を油断させるためにです。

こんな状態で義経をはじめとした源氏軍が攻めてきたため、平家は慌てふためいたのです。

もし後白河法皇の陰謀がなかったとしたら、はたして義経は勝てたのでしょうか。

結果だけで判断しない

関ヶ原合戦は西軍が勝ったはずだ」

日本に来たドイツのメッケル少佐は、関ヶ原合戦の布陣を見てこのように語ったそうです。

西軍は中央に囮を置いて、突撃してくる東軍を包囲するように布陣しており、戦略的に見れば西軍の方が勝ちやすい布陣を敷いていたことになります。

しかし結果は東軍が勝ちました。

その勝因は戦略ではなく西軍の武将を寝返らせた家康の政略でした。

たとえ戦いに勝利したとしても、その戦略が正しかったか検証してみないとわかりません。

先に書いた源平合戦もそうですが、勝ったからと言って源氏側が勝てる戦略を立てていたとは言えないことがわかります。

しかし悪い戦略で一時勝っても、また同じような悪い戦略で戦えば負けてしまいます。

著者は、結果論に陥ることなく教訓を得るためには、戦略で検証する必要があると述べています。

この本は源平合戦の他にも、南北朝時代や戦国時代の合戦にも触れられています。

皆さんも合戦に興味がありましたら、戦略という視点から合戦を眺めてみてはいかがでしょうか。

この本は、戦略という新しい視点を教えてくれるいい本だと、私は思います。